この影響で、類似したシーンのあるホラーアニメ「ひぐらしのなく頃に 解」が一部放送局で放送中止になった。
mixiには「ひぐらしの内容を歪曲して、事件に影響があったかのように報道した番組に抗議しよう」のようなトピックがひぐらしコミュ二ティに立ち、2ちゃんねるでも話題にのぼっている。
アニメオタクは、この「歪曲して事件に影響があったかのように報道した」説に賛成の人が多いだろう。実際、放送中止になった「ひぐらしのなく頃 解」には手斧で人を殺すシーンはなく、そのシーンが含まれるのは前作の「ひぐらしのなく頃に」である。
それに、何か事件が起こると、浅い考察で原因を探すのが現在のマスコミのお得意分野であることも事実である。
だがである。アニメオタクはそんなことを言う前に、自分たちはしっかりと「オタク」という文化に責任と誇りを持って守ってきたのだろうか。
「オタク」ならば、かつて千利休が切腹をもってしてまで守ろうとした「茶の湯」くらい、「オタク」を命がけで守っているか。
日本のオタクは。私にはそう見えない。
千利休は茶の湯オタクだった。
一般人にはわからないような、茶碗のひびを眺めては、マニア同士で「これはすばらしい」とか言っていた。そうやってただ、茶道だけを追求し、たとえ秀吉でも農民でも必ず腰をかがめて茶室に入らなければならない、にじり口という小さな入り口を発明した。
茶の湯オタクから権力関係を極度に排除した。だから茶の湯は今もなんとか流とかいって、確立されたひとつのジャンルとして残っている。
参照:livedoorニュース・「ひぐらし」放送中止に見るアニメオタクの限界